テレビを見ていたら、どっかのイナカのこだわりコーヒー店を経営する夫婦の話が紹介されていた。店主のこだわりもすごいが、お客も「こだわり派」ばかりで、20代の女性だけれど、ブルーマウンテンの味はこうでなくっちゃ、なぞおっしゃっていた。なんとなく恥ずかしくなった。
おいらも昔(高校生時代)コーヒーに凝ったことがあった。地元のいわゆるえらいコーヒー店めぐりは当然のこと、自分で種々の器具やネルの袋なんかでコーヒーを淹れたりなんかして、いっぱしの「通」を気取っていたものだ。子供のくせに異常だった。
その後、世界のいろんなところでいろんなコーヒーに接して何十星霜。結局落ち着いたのが、外出先ではドトールコーヒー(ベローチェもいいね)と、家ではインスタントコーヒーというパターン。今でも毎朝コーヒーを飲むが、インスタントコーヒーである。コーヒーメーカーは、数種類いまでも持っているが、ほとんど使うことはない。
コーヒーとは、日常的な飲料である以上、飲み慣れたコーヒーを一番おいしいと感じる。それが「なんとか焙煎」の高級コーヒーであろうとインスタントコーヒーであろうと、価値は同じ。慣れたものが一番なのである。パーコレーターで入れたコーヒーこそコーヒーだと思う人(アメリカ人だね)がいても、全くおかしくはない。それがお袋の味であれば、それが最高のコーヒーなのだ。
グルメにこだわる「おいしん坊」の世界は、所詮カッコワルイ。あれはみんなが貧しく餓えていた時代のビンボー人の憧れを具現化したものにしか過ぎない。ローマ時代から19世紀のパリで流行ったグルメも、一般人民がみな餓えていたからこそ意味があった。みんながじゅうぶん食える時代では、グルメで人に差を付けることは出来ないし、その記号的意味もなくなってしまうのである。
昨今の日本の家庭料理や「食」へのこだわりぶりは異常と言ってもいいのではないか。壮大な社会エネルギーの無駄が生じているような気がする。
2 件のコメント:
>ブルーマウンテンの味はこうでなくっちゃ
この類の番組が氾濫しているのは実感しています。
要は、その人その人が一番おいしい、と思える味のものを選んだり、入れ方を変えたりして楽しめばいいのであって、自分の感覚を絶対のものとして他者にまで押しつけるのは思い上がりだと感じていました。(少し言いすぎかもしれませんが。)
インスタントコーヒーも、独立した立派な
飲み物だと思います。これらも、色々な商品が出ていて、みなそれぞれ風味が違います。
それらの中から、自分の好みのものを見つけるのも楽しいです。
普段は、気軽にインスタントを、部屋中に香り立つコーヒーの香りを楽しみたい時にはレギュラーを淹れる、というのが私のやり方ですが、人それぞれだということを踏まえずに蘊蓄を披露するのはどうも感心しません。
そうですね。「食」というものはもっと日常的なもので、決して「こだわる(オブセッション)」の対象ではないと思います。もっと「自然体」でお付き合いしたいですね。
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